あいあい。
最近巷でよくみるイアホン・ヘッドフォンをつけた人。
ipodなどを筆頭にデジタルミュージックプレイヤー。
電車に乗っていても、自転車こいでいても、街をあるいていても
かなりの多くの人が何かしらのプレーヤーで音楽を聴いている。
で、で、で、だ。
一つの疑問。
「みんななんでそんな四六時中、外に出てまで音楽を聴きたいの?」
「そこまで音楽を聴き続けなければならない理由が分からない」
というのがボクの思い。
理由はなんなのか?
海外の人からみると日本はうるさすぎるとよく言われる。
そのうるささから逃避するための手段なのか。
ただ単に流行ってるし、それ持ってたらかっちょいいから。
一つのブームにのっかてるだけなのか。
職業が音楽家、もしくは目指していてその訓練のため。
生きる糧として音楽を捉えているのか。
それともイアホンをつけ音楽を長時間聴き続けることで
自分の耳を聴覚を傷つけることに快感を覚える真性のMなのか。
で、で、だ。
よーするにおれはそこまで外で執拗に音楽を聞くことに反対なの。
理由はふたつほどあって、
①この状況が進んで自分の世界に入り込んでいくことに拍車がかかり、
ますます周り無関心主義が進行してしまうのではないか?
②身体的にやっぱ耳に悪いんじゃないの?
①これにはすっげぇ極端なことかもしんないけどでも可能性がないとも言い切れないような気がする。携帯電話が普及してやっぱ個と個の付き合い方って変わったと思う。ま、ケータイはコミュニケーションツールだから影響力も大きかったと思うけど、ウォークマンにしてもどんどん普及していくと個人のライフスタイル、考え方、社会の中で影響がどんどんでてくると思うの。
そしてやっぱ音楽が直接耳に入ってきて、周りの音が遮断される状況ってのを考えた時に、
いい影響が起こるって楽観することはできないと思うんだ。
②ボクは左耳が聞こえない。それゆえ調べてやっぱ耳に負担かけるとよくないってことを知ってから、あまりヘッドフォン・イアフォンをして音楽を聴くことが怖くなった。
だって単純に考えて負担がすごいかかると思うの。
目で考えるとテレビをめちゃくちゃ近い距離でずっと見てるってことじゃん。
それってやっぱ目悪くなるやん?きっと。
そんな状態に近いものはあると思うの、それってやっぱすっげぇ負担やろうな~って思ってしまう。
聴覚が失われるのって想像したことある?
ちなみに人間は身体が病魔に蝕まれ、ほとんどの感覚器官が機能しなくなっても
最後の最後まで機能するのが『聴覚』らしい。
そんな時に若い時にウォークマンガンガンに聞いてて耳をいためてたら、臨終になっても
家族の声を聞くことなく、一人閉ざされた世界で孤独に死を待つことになったら寂しくない?
で、だ。
おれも音楽はすごい好きだし、救われたこともたくさんあるし、感動もした。
でもその場面って
友達の家でそのアーティストの人生とともに聴かせてもらった時とか、
ライブハウスで実際の演奏を聴いたときとか、
家のコンポで歌詞カードみながら聴いてた時とかで、
外で片手間で聴いてるときじゃなかった。
『NO MUSIC、NO LIFE』
これは別に常に音楽を聴いてるとか、街中でヘッドフォンしながらリズムとってるとか
そんなことを謳ったものじゃないと思うんだ。
さっき書いたような場面が生活の節々にあって、そういう音楽の魅力を
表してるコピーだと思うんだ。
『NO EAR、NO MUSIC』
おれは音楽と楽しく付き合いたい。